麻雀とアルゴリズム

オセロにおいて人間はコンピュータに負けてしまいましたね。

6マス6マスのことであって、8マス8マスではなかったと思いますが、時間の問題でしょう。

必勝法が見つかってしまっていますから、どうもムリなようです。

二人零和有限確定完全情報ゲームの場合、かならず結果が決まってしまうわけです。

オセロであれば後手必勝。

常にお互いが最良の手を打ちつつ、打ち損じなければ後手がかならず勝つのです。

しかし理論上はそうであっても、人はポカをしますし、案外そうとは行かないものです。

コンピュータは「打ち損じ」はしません。

「もう勝てない」と決まっているのです。

それでは将棋はどうなんだ?ということになりますが、将棋の情報量は半端じゃありません。

最後の20手ほどになったときにようやくコンピュータはその力を発揮するところのものとなりますが、序盤では過去のプロの対戦を参考にしてプログラミングしています。

ようするに結局は「人の手」なのです。

致命的なミスを犯さない限り、人間側が勝利するはずです。

この方法をとっている限り、限りなく名人であったとしても、それを越えることは出来ないと考えられます。

今年4月の「将棋電王戦」では、団体で人間側が負けてしまいました。

コンピュータも、かなり腕を上げてきていることには間違いないようです。

とは言えコンピュータが「自分で考える」ということが出来ない限り、将棋においては人間に並ぶことがあっても人間を追い越すことは難しそうです。

人間に勝アルゴリズム

ところで「人間に勝とう」という麻雀を打ち手をつくろうとしないのはなぜでしょう。

もし仮に凄まじいアルゴリズムができたなら、それも可能なのか?という話を目にすることがあります。

その質問は愚問でしょう。

負けない麻雀に徹する打ち手を創りあげることは可能かもしれませんが、常勝する打ち手は作れません。

というか、まずそれに挑戦して創り上げる時の費用対効果を考えるに、商業的意味も意義もないわけです。

誰もそんな物作りたくありません。

暇なときにお相手してくれる程度の力量があれば、それでゲームとしては成立しますからそれ以上は求めません。

麻雀では「運」や「ツキ」「勘」「流れ」といったものを「オカルト」と一蹴する打ち手もいます。

確率論と統計学的な戦略がすべてを制するという考え方にならっています。

私個人はこの考え方が好きではありません。

一見「勘」や「ツキ」というように見えるものも、経験則に基づいた何かしらの「計算」が存在しています。

「ツキ」や「流れ」も経験則に基づいているのです。

膨大な経験を(麻雀のみならず)頭の回路が処理して答えを導きだしています。

またどんなに空から弾が降り注いでも、当たる弾と当たらない弾は始めから決まっています。

1発でも当たる弾は当たってしまうでしょうし、隙間なく降り注いでも、当たらない弾は当たらない。

それに等しく「万に一つ」であったとしても、引く人間は引けるのです。

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